先日、ふとした理由で宮城県に行った。
そこで見たことの無い植物を見かけたのだ。
ひょろっとした茎の頭に「ぼんぼん」が くっついている。
「なんか変な植物が生えてる」
と隣にいた妻につぶやいたところ、こんなことを言われた。
「あれはネギの花、都会育ちだから見たこと無いのねぇ。
種を取るために花を咲かせるの」
そのとき一緒に歩いていた妻のお友達も、
「ああ、みたことないんだぁ」
と言っていた。
都会ではネギの露地栽培は見かけないのだ。
そんな妻と以前した話を、なんとなく思い出した。
もう一度確認してみることにした。
「じゃがいもの花は見たことあるけど、アレも種が出来るんだよね」
「ジャガイモは種じゃなくて、ジャガイモから生えてくるんじゃないの」
妻はジャガイモに種が出来ないと思っているらしい。
ここでお友達にも種の存在をアピールしてもらい、
ネギでバカにされた悔しさを晴らすのだ、晴らすのだ。
「ジャガイモには種がないんじゃないの」
妻の友達は「ジャガイモ種無し説」を信じているらしい。
「ジャガイモに花が咲いた後、そこに当然種が出来るでしょ」
「ジャガイモを切って植えるとジャガイモが生えてくるのよ」
「切り口に腐らないように灰を付けるの」
いや、育て方を聞いているんじゃなくて、種が出来るかどうかなのだ。
「ジャガイモにも種があるんだってば」
「種はないと思うよ〜、ジャガイモから生えてくるんだよ」
「そうそう」
「ジャガイモ種無し説」は多数決により採択されてしまいそうだ。
違う方向からも攻めてみよう。
「チューリップにも種があるんだから」
「チューリップは球根が出来るんだよ」
「そうそう、種じゃないのよ」
大変だ、チューリップも種無し植物に分類されてしまいそうだ。
「いやいや、チューリップも花が咲くじゃない、
お花が咲いた後、放っておけば種が出来るの」
「チューリップは球根で売られてるけど、
種は売ってるの見たこと無いからないんじゃないの」
「ねぇ〜」
売られているか否かではないのだ。
植物の威厳に関わる問題だ。
「種が出来ると球根に栄養が行かなくなるから、
花が枯れた後は花を切って種を作らないようにするじゃないか」
「でも売ってるの見たことないよ」
「チューリップ種無し説」も多数決で採択されそうだ。
ネギの花は見たことがなければ知らないだろうが、
植物に種が出来るのは誰でも知っているはずだ。
遺伝子操作で種を出来なくすることもあるが、
植物には基本的に種が出来るのだ。
種が出来なければ、品種改良も出来ないじゃないか。
けしからん奴らだ。ぶつぶつ。
■ジャガイモに種が出来ないと思う方はこちら。
■チューリップに種が出来ないと思う方はこちら。