作者の独り言 > 
引越しかよ…

ちょっとした事情で引越し準備中だ…。
あと、二日か三日以内にはこの八王子を離れ実家に帰るだろう。
この八王子には大学の関係で2年間近く住んでいる。
この二年間の間にいろんなことがあった。
そこで、この辺で八王子の懐かしい思い出を振り返っておこうと思う。


八王子に引っ越してきたのは、2001年の3月下旬だった、
八王子は夏暑く冬寒いと聞いていたが、本当に寒かった。
家には暖房もなく、布団も中途半端で、雪まで降ったりして
ほんとに死にそうなくらい寒かった。

あのころは、料理も味付けのポイントが良く分からなかったから
コンソメスープで野菜をそのまま煮てみるなど、
素材の味と称したいい加減料理をつくっていた記憶がある。
相方さんもよくあれで文句を言わなかったと思うが、
自分が作らないのではそれすらいえなかったのかもしれない。

夏になるころには、
そこそこアドリブで味をつけても案外食えるということに気が付き、
微妙な野菜炒め等を作っていた。
このころ食卓に肉が出ることはほとんどなかったと思う。
良く分からない食費低減のなせる技だが、
かなりの領域で反則だったことは言うまでもないだろう。

そして夏。
やはり八王子の夏は暑く、
クーラーなどは存在していないうちにとっては地獄のような毎日だった。
暑くて死にそう
出し忘れた生ゴミがステキな香りを放って死にそう
ゴキブリが空爆を仕掛けてきて死にそう
風呂場にきのこのような物体が存在していて死にそう…等
一歩間違えると簡単に死ねる毎日だった。

夏場のテスト勉強は暑くて手に付かないし、
学校に行っても図書館は人だらけ。
しかも冷房効かせ過ぎで寒い。
あんなところに出入りしていたら
あっという間に体調不良になってしまいそうだった。

そのくらいのころに家にもADSLの回線が導入され、
晴れてブロードバンドのありがたみを味わい
定額という罠にのめりこんでいったように思う。
しかし、この常時接続のインターネット専用回線がなければ
このサイトは日の目を浴びなかっただろう。
いろいろとありがとうADSL。

夏休み中は基本的に実家のほうで過ごしたが、
たまに部活等の用事で八王子にも帰ったりもした。
相方さんは一度も帰ってこないので
電気やガス等光熱費の支払いは全てこっちでやる羽目になった。
「たまにはそういうこともしてくださいよ…」
と普通の人間なら延髄にハイキックをかましていたところだろう。

あのころは朝バイクで八王子に行って
よる帰ってくるということを良くやっていたように思う。
もちろんそのための費用は自分もちだ。
夏休みも案外休んでいなかったのが実情だろう。

後期の授業は専門科目も多少増え、
前期のような高校の授業を微積分化して復習するような
けだるい感じもなくなり
電気工学科らしくなったように思う。
おかげで、楽しい授業とそうでない授業がきっぱり分かれてつらかった。
まあ、授業くらいは1ヶ月もたてば大体慣れるのでどうでもいいのだが…。

八王子での10月から11月にかけての気温の下がり具合は
なぜだか分からないが地元に比べて非常に寒い。
気温自体はそれほど低くはないのに、温度差が激しくかなり寒かった。

個人的には多少寒いくらいでは暖房なんぞはつけない主義なので
部屋の中でも外の格好で過ごしていた。

実際、12月ごろになると寒いのが普通になるので、
特に凄く寒い感じはなくなり楽になった。

密かに八王子の冬は雪が結構降ると聞いていたので、
雪が結構積もって大学に行くのに苦労するだろうなと思っていたのだが
その期待を裏切り一年目はほとんど降らなかった。
このむなしさは、
中学の修学旅行で10月中旬という半端な時期にに北海道に行き、
なんだか分からない北海道を見て帰ってきたときの焦燥感に似ていた。

そして、このころ相方さんの役に立たなさ具合がかなりきていたので、
もし四年間同じようにすむんだったら
春の休みでおさらばしているだろうなと密かに思っていたりしていた。
もうちょっとで2年次は地元から電車通学になるところだった。

そんな感じで二年目に突入したが、二年目は大変だった。
何が大変て別にたいしたことではないのだが、
学校の入学者の選択ミスで一年が大量に入学し、
いろんなところで人が多すぎた。
まあ、ただ人が多いだけならまだいいが、
頭が足りないやつが多かったのが一番痛かった。
禁煙なのにタバコをすうアホとか、順番も守れないサルが多すぎる。
こういうやつらが3年になるときの関門に取り残され、
八王子に居座ると未来栄光八王子の皆様に申し訳ないので、
卒業できる見込みのない人物はお早めに方向転換をどうぞと言いたい。

授業のほうは二年になるとほとんどが専門科目で、
やっと大学らしい授業になったと思う。
何気に実験のレポートが
二年次は手書きのみとなってかなりめんどくさい思いをした。
しかし、手書きで書くのも今になってみれば、
まあ、いい経験だったという事にしておきたい。

二年目は四季の変化も二廻り目なので、
一年目に起こった多数の事態を想定し事前に対処することができた。
春に凍死しそうなこともなかったし、
夏にゴキブリを取り逃がすこともなかった。
11月に暖房をつけて12月も寒い思いをすることもなかったし、
雪が降るからどうのと考えることも無かった。
やはり人生も二廻り目があれば
それらしい人生を送れるだろうとか思ったりもする。

そんなこんなでもう八王子を去るときが近づいてきた。
いまさらながらに思うが八王子はいろいろといい。
川も有るし、郵便局も近くにあるし、
値段の変動が大きく楽しいスーパーもある。
地元にはないものがたくさんあった。

八王子で2年ほど暮らしている間に、
地元よりも八王子の方が住みやすいように思えるようになってしまった。
二年前まで住んでいた地元も、
他の土地に住むことにより客観的に理解することができるようになった。
また、そういう意味で親のありがたみやその迷惑さもよく理解できたと思う。


もう、大学の研究室が八王子にでもならない限り
まず八王子には行かないと思うが、
また住んでみたい場所のひとつとして忘れないようにしておきたい。

ありがとう八王子。
そして、
さようなら八王子。

ステキな日常をありがとう。









↑こんなステキな町に住んで見たかった。

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